MSDOSソフトとパソコン通信C

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ノートパソコン

1990年代に入ると、ソフトと同時にハードウェアでも画期的な商品が登場した。それはノートパソコンの登場である。NECのPC9801NS/Rというノートパソコンである。画面はまだモノクロ。OSもまだWINDOWSは登場しておらず、MSDOSで動くハードディスクが40MBというもの。しかし当時はDOSの画面とはいえ、「ランチャー」なるメニュー画面があり、「一太郎」や「LOTUS1-2-3」、「桐」などが一発起動できた。

この白黒のノートパソコンを営業マン全員に装備することになった。いまでいうモバイルである。わたしはノートパソコン50台ほどと格闘し、ソフトをインストールし、営業マンを数人ずつ招集して使い方のトレーニングをした。もちろん、わたしだってMSDOSの本当の使い方は知らない。

わたしはDOSのコマンド(FORMAT、DELETE、COPY、RENAMEなど)とファイル、ディレクトリの操作などを片っ端から覚える羽目になった。WINDOWS以降のGUI(graphical user interface)ではなくCUI(character user interface)と呼ばれるものである。その当時から考えればLINUXなんて夢見たいなソフトだが、それでも覚えるのが億劫である。やはり年をとってしまった。MOVEというコマンドが例のランチャn中にあった。わたしは、「この命令は覚えてはいけない。実際にはCOPYコマンドとCOPYした後にDELETEコマンドを組み合わせているだけなんですよ。」と口をすっぱくして教えた。でも、DOSの方が後に対応した。思うに誰も理解していなかった。

とにもかくにも、営業マンは嬉々としてパソコンを使い始めた。ワープロでの挨拶状、LOTUSでの売り上げ見込み集計など。営業マンのほとんどがパソコンを使いこなしていた。ニーズがあれば、覚えるのである。

パソコン通信との出会い

パソコンは持たせたが、「情報の共有化」をしなければならない。

その頃出会ったのがパソコン通信である。

モデムという装置のことはご存知だろう。でも、モデムの語源はご存知か? これはmodulation-de-modulation(変調・復調)を略してモ・デムというのだ。

パソコンはデジタル信号で、電話回線の中はアナログだから、パソコンの出口と入口でデジタル⇔アナログの変換を行う。 パソコンとはRS232Cというインターフェースで繋ぐのだ。これをパソコン通信という。

さらに、若い方は、知らないだろうが、音響カプラという装置があった。 これは、電話の受話器にくくりつけるヘッドフォンのような装置だ。 モジュラージャックがない電話機で、パソコン通信をするのに音声をそのまま取り込めるようにする装置だった。

当時のパソコン通信はNECのPC-VANと富士通のNifty-serveが覇を競っていた。

ファイルの転送(当時はバイナリファイルを2400bpsで送信できるという高速な?ものだった)、 フォーラムやメールなど文字ベースということを我慢すれば、一通りのことができた。

ただPC-VANやNiftyは基本的に個人ユーザーのものであって、営業マンに無制限に使わせることはできない。 そこで、今で言う「グループウェア」をパソコン通信でパッケージ化したものがあり、それを採用した。

そのパッケージ自社用にカスタマイズして営業マンに使うように指示した。掲示板やメール、フォーラム、ファイルライブラリまで一通りのものがあったが、なかなか使ってくれなかった。 やはり、電話回線を使うということは当時は非常に困難だった。

公衆電話でたまたまモジュラージャックのあるものを見つけて繋ごうとしても、 「おい、電話しないんならどいてくれ。」と言われるのがおちだ。

また出張先では電話で繋いだとしても、会社に戻ったらどうするんだ?・・・わざわざ各部室に共用の電話線まで引いたが繋いでくれる人は少なかった。その頃、LAN(Local Area Network)なる言葉が出てきていて、社内の情報共有に使うという。でも、出張したらどうするんだ?この悩みはインターネットが登場するまで解決されなかった。

WINDOWS3.1はパス

1994年頃、MSDOSで営業マンの情報武装を推進していたが、わたしと反目する会社の情報システム部は、他の事業部に対してWINDOWS3.1の色付きパソコンを装備し始めた。

そりゃあ、カラーのパソコンがいいさ。 でも、わたしはかたくなに WINDOWS3.1のパソコンを非難した。

「あれはOSではない。LANをWINDOWS3.1でやるなんて馬鹿だ。」と、LANの知識はなかったが、WINDOWS95が発売されるまではMSDOSで行こうと決めたのだ。

あの時の決断は正しかったと今でも思っている。WINDOWS95の登場とインターネットの登場がわたしのパソコン人生を大きく変えることになった。

 
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