MSDOSソフトとパソコン通信B

わたしの生活工房は、等身大の生活情報ポータルです

データベースソフト

85〜6年ごろ、会社の中で一太郎やMULTIPLANが一部パワーユーザーの間で使われ始めていたが、 わたしはどうもこれらを使う意味を見出せないでいた。

表計算は単なる線引きと計算に使うが、わたしに言わせれば、「そんなものは手でできる。」。

わたしは工場勤務時代に(関係ないけど)法学部出身なのに算盤の特訓を受けて、縦横計算はお手の物だった。 MULTIPLANで作成しても計算式が間違っていないか、もう一度算盤を入れていたのでは意味が無いではないか?

(ちなみにわたしは今でもEXCELで表を作成した後は、算盤で縦横を計算する)

ワープロにしても、専任の女性がいるのだから「清書」の意味だったら、自分でやる必要はない、と思っていた。 興味を引いたのが、データベースソフトである。

当時、販売データの集計・・・どういうことかというと、お役所から発表される年度統計の資料を表に手書きで書き写して、 それをマーケッティング用に集計しなおすことを算盤でやらされていたからである。

紙に書き写すのをMULTIPLANに変えたところで、次の瞬間には別の角度から集計しなおした資料を作れと言われる。 現在のEXCELならばある程度可能かもしれないが、MULTIPLANでは無理だ。

その頃出会ったのが、「PC-PAL」という初期のデータベースソフトだった。 大塚商会というベンダー兼OA機器商社から発売されていた。聞くところによると、花王石鹸をドロップアウトした人が作成したソフトという。 (もうyahoo検索にも引っかかってこない)

当時はまだSQLというオープンなデータベース言語も無く、独自の表形式ベースのデータベースソフトだったが、非常に使いやすかったのを憶えている。 やがて、このソフトを使って生産計画バランスや資金計画まで作成するようになった。

日本語データベース「桐」

データベースソフトとの出会いはわたしをプログラムの世界まで引き込んだ。

[PC-PAL」には、簡易なマクロ生成ツールが付いていて、自分が行った作業をそのままパソコンが真似して作業をしてくれることを知り、感動を覚えた。 その当時はデータベースと言っても、フロッピーディスクの世界である。

データ量に限界を感じ、「PC-PAL」に代わるものとして見つけたのが、 管理工学研究所のデータベースソフト「桐」だった。

データベースソフトといいつつ、帳票設計や印刷の機能が豊富で、マクロ以上のいわゆるプログラミングができるソフトだった。 しかも言語は漢字!SQL文ではなく、「併合,表,・・・」というように本当に漢字でクログラミングをするんである。

PC-PALにもあった人の作業をなぞってプログラムを自動生成する、いわゆるジェネレータも後で編集・修正が可能だったし、 条件分岐や繰り返し(本当に命令語が「分岐」とか「繰り返し」とかそういう書き方なのだ)も記述できる。

当時、担当していた業務を片っ端から「桐」のシステムに置き換えていった。

当初はプログラミングと言えるものではなかったが、そのうち、BASICなどで使っているロジックもほとんど同じ造りになっていることに後に気づいた。

 
おすすめ


Copyright(C) 2004 - Akio Yutobi All rights reserved.