MSDOSソフトとパソコン通信A

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PC98シリーズ

パソコンについても、企業の中で使えるようなものが販売されたのは、84年頃のNECのPC98シリーズからだろう。

会社では昼休みを利用して、BASICの勉強会があった。

パソコンに詳しい上司が先生になって、若手の人を集めて教えてくれるのだが、申し訳ないけど理解できなかったし、つまらなかった。 シーケンシャルファイルだのゴーサブリターンだのこれが実際の仕事にどう役に立つのかわからなかった。

ものすごく遠い世界の話のようだった。

表計算ソフトの登場

そんな時、マイクロソフト社から「MULTIPLAN」という表計算ソフトが発売され、BASICの勉強会が中止になった。

現在のEXCELの前身になるソフトで、縦横のセルに計算式を設定してデータを入れると自動計算ををしてくれるという画期的なものだった。 ちなみにその後このMULTIPLANはいったんLOTUS1-2-3という表計算ソフトに席巻され姿を消す。

しかしその後WINDOWS 3.1が発売されると、EXCELとなってふたたびLOTUS1-2-3を蹴散らすことになる。

原因はWINDOWSへの対応度合いだったとも言えるが、わたしが思うにEXCELは発売当初からファイルの形式がBOOKという概念だったことが理由と思う。 つまり1つのファイルの中に複数のシートが存在し、それぞれ別個に使うことも、シート同士を計算式で関連させることもできるようになったからだ。 LOTUSには当時、この機能がなかった。

ワープロソフト「一太郎」

ワープロは82,3年当時、キャノンの専用機があって、 ワープロ室があり、専任のインストラクター兼タイプライターがいた。

・・・といえば聞こえはいいが、和文タイプ室というのがあって、その女性がワープロをマスターしていただけである。 当時のワープロは1台200万円ぐらいしていただろう。

用途としては契約書や社外文書の作成など、つまり和文タイプの置き換えだった。

そのうち、専用機以外にパソコンにも「ワープロソフト」というジャンルが現れた。 もともとPC98シリーズが台頭したのも、日本語処理に優れていたからで、パソコンのワープロの前身は「FEP=かな漢字変換システム」である。 当時はジャストシステムの「一太郎」と管理工学研究所の「松」がシェアを競っていた(らしい:わたしはキャノワードを使っていたので)が、 一太郎のFEPは今も存在する”ATOK”。一方の「松」は”松茸"であった。 会社には一太郎のVer.3が導入されていた。

ワープロの歴史

 
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